日記

母が亡くなって、いろいろな書類が必要で

今日は、戸籍謄本を取りに淡路島へ (お店休んじゃいました~)

私の母も、私も本籍が淡路なので、橋を渡ってルーツをさぐる旅です。

実家のある場所では母の出生からの謄本がとれないので

市役所は2箇所回らないといけませんでした。

今の戸籍謄本はもちろんパソコン入力したものですが

母の生まれた時のは手書きの謄本で

読みにくいこと、この上なし

けどなんだか、そこには秘密がいっぱいある感じで

私が生まれた時にはもうなくなっていたおじいちゃんの名前や

おばあちゃんの名前、そしてそのまたおばあちゃんやおじいちゃんの名前とかがあって

結婚したこと、離婚したこと、元の戸籍にもどったとか、いろんなドラマがそこにあります。

いろんなことが絡み合い、もつれ、もつれて

今がある。

私はそれをほぐしていかねば・・ と。

 

 

オーラソーマ

医学の歴史を5千年ほどさかのぼると

当時の病気はほとんどが皮膚病だったとか。

仮に一軒の家があり

水道の配水管があり、パイプは一定の水圧に耐えうるように設計されていて

水圧が低すぎると水が出ないし

水圧が高すぎるとパイプが破損する。

パイプは地下のポンプにつながっていて

ポンプからはつねに一定の圧力で水が送り出されている。

ところがあるとき、なんらかの理由で故障し、ふだんより2気圧ほど高い圧力で水が送り出されると

この問題はどこにあらわれるかというと、もっとも表面に近いパイプが破損する。

この水漏れこそ、私たちの皮膚に現れる炎症である。

アトピーだったり、じんましんだったり、とにかく身体のなかでもっとも外界に近い皮膚に現れる。

『病気と健康の法則』 by ロバート・ハシンガー

ぎぇっ。

それなら私たちはもっと、もっと皮膚に表れる兆候に意識的にならなければ。

身体からのサインを見逃さずに、重症になる前にそれに気づかなければ。

病気になる前にそれを防ぐ。

私もそういうことのお手伝いをしたいと思っています。

日記

先日の日曜日はアニマルコミュニケーションの講座がCayaの2Fであったので

私はランチの係りでした。

寒いし、おでん風にしました。 (ホント最近寒くって・・こごえそう~)

これまで何回もこのアニマルコミュニケーションの講座があったわけですが

その時、その時で雰囲気がちがいます。

でも共通しているのはみなさん動物が大好きだってこと。

当たり前。

で、動物さんと話してみたい、何を考えているんだろう、こう思っているんじゃないかな?

とか、ここらへんはとっても皆さん真剣なわけ。

動物さんへの関心度の高さを感じます。 

アニマルコミュニケーションを学びたいという人はみんな

ふと、すれちがったワンちゃんにも関心を向けて

「きみ、何かいいたいことある?」って聞いてみたいと思っているみたいなんです。

 

けど、なんだか動物と繋がるってことは、私たち人間と繋がるってことと

同じなんじゃないかな? 動物を通してはいるけれども

そこで見るのは、自分なのかも。 

私たちは他人を見るときに

そこに自分を見るように、動物を通してなんだか自分に繋がるんじゃないのかな~?

そんなことをふと思いました。

日記

友人が暖かいメールをくれたりして

読んでいると、やっぱり泣けてくる。

 

母が最後に身体が不自由になったのは

こけて首の骨を折ったからです。

人間の身体で首ほど大事なとこはないかもしれない。

学んでいくと、どこのパーツをとっても大事ってことはわかるけど

首は頭と身体を繋げる重要な場所であるし

スピリチュアル的に言うと

健在意識と潜在意識をつなぐ部分でもある。

ここがつまると私たちは手も足も動かせなくなってしまう。

「手も足もでない」 ってそういうことか・・。

 

健在意識を潜在意識に落とし込むために、私たちは言葉を使う。

 

母はなにか私に言いたいことがあったんじゃないのかな?

それを言わずにいってしまったのかもしれない・・。

ほんとは私も聞いてみたいことがあったんだよ。

母の昔のこと。 父と結婚する前のこと。

いつかきかなくっちゃって思っていて、聞けなかった。

私たちって、ほんとに言わないといけないことを飲み込んでしまうことがよくあるのかもしれない。

 

人間関係が悪くなる、ほとんどの原因って誤解なんじゃないのかな。

ひとこと聞いてみれば、

「な~んだ、そうだったんだ~」 なんてことが山ほどあるのかもしれない。

これからは、ちゃんと伝えないといけないことは伝えて。

聞くことはちゃんと聞かなくっちゃ。

 

 

 

日記

9日に母が旅立ってしまいました。

肺炎になり、入院したのが6日で、私は6、7、8と3日間病院に行って

最後に「じゃあまた来るね」と言ったら

「ありがとう」 と母は言って、それが最後になりました。

病院から電話があったので急いでかけつけると、母はまだ暖かくって

今にも答えてくれそうではあったけど

一瞬見ただけで、もうここにはいない、と・・・。

魂は旅立ってしまったんだ~と感じました。

もっと、もっと話をいっぱいすればよかった。

いつも、忙しさにかまけて

なかなかゆっくり話しを聞いてあげなかった・・・。

ごめんね。

最後の日に、すこしレイキをしてあげたら、呼吸がすこし楽になった気がしたのにね。

 

そんなことでこれからも時々お店はしまったりしてるかもしれませんけど・・。

そんなわけです。ごめんなさい。 しばらくしたら落ち着きますから。