日記

先日のお休みに奈良の当麻寺を訪れました。

この間より時々書いていた1250年前に曼荼羅を作った中将姫のおられたお寺です。

なんで奈良国立博物館じゃなくって、当麻寺かって?

この前のお休みの日は当麻曼荼羅の展示が見れない日だったから・・です。

当麻寺の中の坊で平成の時代に作られた曼荼羅を見せていただき、その「絵解き」というものを

聞かせていただきました。 

「絵解き」とは独特の抑揚をつけて歌を歌うような感じで、曼荼羅の説明をしていくものです。

この平成の曼荼羅は今のご住職が

小さな頃に、村の老人達が「絵解き」をやっているのを聞き、それを覚えていましたが

だんだんと「絵解き」ができる人がいなくなってしまい

とうとう誰もやらなくなってしまった。

その昔の「絵解き」を復活させたいけれども、曼荼羅がないと、ということで

有名な絵描きさんにお願いしたのはいいけれども、なかなか出来上がらない。

なにせ予算もないし、催促もできないし、ということで

出来上がったのが15年後だったそうです。

それでも本当の曼荼羅の1/4の大きさらしいです。

いかに根本曼荼羅がすごいかってことですよね。

中将姫の曼荼羅への「思い」はすごいものやったんだろうな~。

伝説では一晩で出来た、ということになっているけれども

実際はどのぐらいかかったんでしょう~?

文字も読めない人が多かった時代

仏様の世界を語るのに

目でうったえかける必要があったんですね。

今、私たちは字も読めるし、必要な情報はなんでも手に入れることができるけれども

どれだけの人がこの世の世界や、あの世の世界、宇宙のこと、考えているのかしらん?

ボタンの美しいお寺でもありました。

 

 

 

日記

私たちは「感情」というものを表現していい、とは教えてもらっていない気がします。

腹がたったり、くやしかったり、傷ついたり、・・・いっぱいあった。

けど、押さえつけてきた。

自分がそれを表現することができない第3者的な立場にいる場合もあれば

それこそ職場で感情を爆発させれば、すぐに首がとぶし

自分の内に閉じ込めてしまっている感情

出していいんだよ、と言われても

「だって~、今まで出したらあかんって言われてきたのに~」と・・・。

けど、それを認めるということは大事なんですね。きっと。

私たち人間は超能力者やから、すぐにそれが言葉に出来ないときは

身体で表現してしまう。

だから身体に耳を傾けましょう。

そういう私も、ずっと持っている身体の不調はあるし

手放すぞ! そして身体に言おう 「好きだよ、なかなかがんばってくれてるよね、ありがとう」

  チューリップが咲いたよ! 冬を越して

 

 

日記

B096 ラファエル(ロイヤルブルー)のボトルの後

今使っているのは大天使ウリエルのボトルです。

自分の中で、ベストなタイミングですべてのことが起こっているとすれば

このボトルを今使うってことに大きな意味があるってことですよね。

B097 本当はもっと前に使いたかったけれども 2本のボトルをこのウリエルの前に使いました。
ヘンゼルのボトルやB093
B006

エナジーボトルを使ってから(今思えば時間調整のようなもの?)、今このウリエルです。

実は 半分ぐらいもう使っていて
 
あともう半分で使い終わるなあ、と考えていたら
 
昨日、私は何かを手放すために
このボトルを使っているんだな~という
直感がやってきました。
 
自分の深いところにある、感情的なものを無視し

無意識からやってくる叡智の流れを、ブロックしているかも。

 
何かトラウマがあるかも(自分では気づいていないもの)
 
そして、この直感とともに、明日、あさってと感情を手放すためのセミナーにいくことになっていたことを
 
思い出しました。 これは自分のために行くんだ~という深いところからやってくる何か。
 
というわけで日曜日はお店は臨時休業させていただきます。土曜日はまいちゃんが見てくれます。
 
 
 
手放しはやっぱりピンクと共に。4月のDann faireのお花です。 やっぱり素敵。
 
500円のご利益は深い気づきと共に。
 

 

 

日記

神社でおまいりする時に、よくお財布からいくら出そうかなとまよいます。

小さい頃は 「ご縁がありますように~」 ということでよく5円をお賽銭箱に入れてました。

「十分ご縁がありますように~」 ということで15円入れたり

じゃあ

「ご縁 × 10倍」 ということで50円入れたり

まあ、いくらでもよいといえばいいわけですが、気持ちやし。

ただ、毎日のお参りではなかなか「500円」を手放す勇気のない小心者のわたしです。

時々、お財布をあけてキラキラ輝く500円玉が、「私をすくいあげて~」と言っているような気がするときも

いやいや、あんたじゃないよな~と別の子にしたり

けど、そんな時にかぎって事件が起きるのです。

電車に乗ってお出かけしたりして、往復切符を事前に買っていたりすると

帰りの電車の切符が、どうしても見つからない時があって

あせって探せども探せども見つからない。

結局あきらめてもう一度無駄なことしてるな~と思いながら泣く泣く切符を買うとそれが500円の切符だったりする。(結局あとで見つかるんやけど)

あの時にけちったから、結局500円ここで使うことになるんか~。

みたいな。 で

今朝のことです。 走水神社におまいりに行ったとき

なんだか、そうや今日はおさいふに手を入れて、最初につかんだお金をお賽銭にしよう! と決めました。

本殿のお参りを済ませて、摂社の稲荷神社に行ったときのことです。

私の手にはさまれて出てきたのはキラキラ光る500円玉でした。

お~。

さようなら500円玉。 今日はいったい何が起きる?

つづく

 

 

日記

曼荼羅の話ですが、国宝 綴織當麻曼荼羅 [つづれおりたいままんだら]

実は去年の11月に二上山に登ったあと、当麻寺に寄り、その曼荼羅を実際に目にしたのです。

と思ったのですが、あれはレプリカだったらしく

レプリカでも相当な、なんと言うのでしょうか、「すごいものを何か見たぞ感」があり、あのオリーブグリーン色の

曼荼羅はわたしの脳裏にしっかりと残っているのです。

で、

実はもっと前、5年ぐらい前だったか

長野善光寺に行ったとき

止まった宿(尊勝院だったと思う)でも、当麻曼荼羅を見ていたのです。

レプリカが日本に2つあるとすれば、その2つともたまたま私は見たことになります。

ふ~む

これはどういうこと?

やっぱり本物を見に行こう! 4月6日から公開だそうです。

本物を見る機会は30年にたった一度です。